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『歴史紀行 峠をあるく』

『歴史紀行 峠をあるく』
井出孫六(筑摩書房)

本書は峠をめぐる歴史紀行で私の最愛読書のひとつである。なかでも「十石峠」、「大菩薩峠」は数えきれないほど読み返した。しかしここでは「人形峠」より、少し引用してみたい。
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「その安全性については、わたしが問うよりも早く、動燃事業団の係員からカラー印刷の説明書が手渡され、核燃料の輸送、貯蔵、排気、排水等に万全の対策がほどこされていると説明されたが、素人のわたしにその安全性が果たして百パーセント永遠に保証されるのかどうかは納得しがたい。人間の頭脳と科学技術に無謬の信頼がよせらるものなのかどうかという疑念はぬぐいされない」

「プラント施設のデラックスぶり、そして二重、三重の放射能チェック。にもかかわらず隣の動燃事務所のトイレットは、中世以来の汲取式であり、蝿がむらがっていることが、わたしのは現代の峠の漫画に思われもした」
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広島,長崎に原爆が投下されたのが1945年。そして人形峠にウラン鉱が発見されたのは1955年。それに対して井出孫六さんは次のように述べられている。
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「1955年といえば、サンフランシスコ講話発効三年目の年だ。すでにこの時期、核開発をめざして、工業技術院の調査グループがこのような山中をガイガー・カウンターをジープに積んで走り廻っていたという事実の方が、わたしには、ひとつの驚きと感じられる」
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 人形峠のウラン鉱は鳴り物入りで脚光をあびたが、20年におよぶ試掘の結果、埋蔵量が至らなかったので閉山が噂された。ところが、いつの間にやらウラン濃縮試験工場などに計画変更されたニュースを聞き、井出孫六さんは現地に赴き、笑うに笑えない戯画を目の当たりにされたのである。

7月17日東京新聞に、人形峠にウラン鉱が発見されるよりも前に、それも第二次大戦末期に、福島第一原発から南西60Kmの石川町においてウランを採石していたという記事が載っていた。軍部が原爆製造を計画しており、「マッチ箱一つ分のウランで、米国の大都市を吹っ飛ばす爆弾が造れる」として、十五歳の少年も採掘作業に駆り出されたとのこと。そのときにわずかに抽出されたウランは、終戦後にGHQに没収されたらしい。

そして「一九六十年五月に福島県の佐藤善一郎知事から、双葉群の大熊町と双葉町にまたがる旧陸軍航空基地および周辺地域に原子力発電所を建設するプランが東京電力に打診された」とのこと(東京電力発行の冊子「関東の電気事業と東京電力」の記述より)。

東京新聞の記事は、福島と原子力の浅からぬ因縁を題材に、以下の言葉で締めくくられる。
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「必ず勝てる」と言われながら迎えた敗戦。「絶対に安全」と言われて過去最悪の事故を起こした原発。戦争とエネルギー政策は違うが、国が推し進めた点で共通する。今後、原子力とのかかわりをどうするのか、二つの“神話”の崩壊から何を学ぶかにかかっている。
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井出孫六さんの本を枕に話が新聞記事に飛んでしまったが、原発事故をめぐる話は尽きない。
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